リアクションを撮る/人が育つ

近藤将人プロフィール

 
  2026/05/27

自分自身、それを補完する機材のカメラ、2つのカメラを使ったチームビルディングの専門家。
精神疾患により中学校教員を退職後、生命保険営業・独立系FP・小規模企業向けコンサルタント・発達障害専門塾NPO勤務を経て、真に人が育つかかわりを遂行するため私塾を立ち上げる。座学だけでなく体験に裏打ちされた学びの体系を強固にするため九州大学社会教育主事講習を受講。社会教育士の称号と出会った人の縁に背中を押され活動の舞台を広げる。ほぼ同時期に「こころのアシスタント」として公教育の現場に復帰。親でも先生でもない大人としてのかかわりを探求している。副業で10年以上にわたり保育園行事を撮影してきたが、あるとき他のプロカメラマンと写真の撮り方が違うことに気づく。以降、人と人との絆を可視化する写真家、組織の空気をよくするカメラマンとして、あたらしい写真の撮り方を研ぎ澄ましている
1970年山口市生まれ。

自己紹介・事業紹介(長いよ)

はじめまして。
私塾・近藤塾 塾長の 近藤 将人(こんどう まさと)です
塾といっても、よくある学習塾ではありません

わたしは、学校が大好きな子どもだったのですが
中学2年生の秋、学校にいきづらいを経験しました。

以降、わたしにとって学校とは
「大好き」と「いきづらさ」が同居する場所でした。
ふりかえってみると、幼少期から集団にいながら
どこか疎外感、違和感を覚えて過ごしてきた気がします。

だからと言ってよいのか
縁あって教育に力を入れる大学に入学し、
教育を仕事にすることを考えはじめました。

「わたしのような生徒」を導くイメージをもてなかったため、
学校教育以外の教育に携わるという「社会教育主事課程」を2年次から専攻します。

ですが、教育活動を仕事にする上で、
学校を経験しておくことは大事なのではないかと再考、
中学・高校社会科の免許が卒業までに取得可能だったこともあり、
3年次から教職課程を専攻しました

4年時には他の就職活動一切せず、教員採用試験一本にしぼりました。
地元山口県と、新潟県を受験、さきに新潟県で教員になる権利を得ましたが
山口県も合格したので
山口県の中学校教師として社会人をはじめました。

社会人生活4年目の秋ごろのことでした。

大変お恥ずかしい話なのですが、
教職員時代に生徒ではなく、教師であるわたしが「不登校」になりました。


きまじめで融通の効かない性格が災いし、うつ病を発症。
しかし、教育にかける想いを断ちきれず、
復職するため、ボランティア活動に活路を求めました。

社会復帰へのリハビリのためにはじめたボランティア活動。
そこで出会った大人たちの姿に衝撃を受けました。

親でも学校の先生でもないけれど、子どものために汗をかいている人がいる。

このような人を「かくれた教育者」と呼んでいるのですが
子どもにとって親でも先生でもない「ナナメの関係の大人」が大切なことを
思い知りました。


これを機に、学校以外の教育の場づくりを開拓しはじめました。

教員として復帰したのち、これまた縁あって結婚したのですが、
男児を授かった半年後、精神病院の閉鎖病棟に入院することに。
「統合失調症」と病名がつけられました。

教員生活の4分の3くらいは、精神疾患のテーマパークでした。
「自律神経失調状態」ではじめて病休をとって以来、
「うつ状態」「うつ病」「双極性障害」そして「統合失調症」と
さまざまな病名と診断名が書かれました。

精神医療の門をたたく人の心細さとはずかしさはよくわかります。
最初は精神病院にいきたくなくて、「心療内科」にいきました。

(中略)

結局、復帰はかなわず、教職員生活にピリオドを打ちます。

(執筆中、ちょっとまってて)




そうして立ち上がったのが、私塾・近藤塾です。

近藤塾・近藤 将人は、フリーランスの強みを最大活用します。

対話の力で励ます「ガイドランナー」として、人と人をつなぎ
人は変われる、無限に伸びることを信じ抜き、共に育つ
聴き人として「状態」をととのえて、まずきける状態をつくる

前のめり、過反応、決めつけ、思い込み、ジャッジ、鵜呑み、真に受けること
をへらす「聴き方のプロ」として、

社会教育士という称号に背中を押され
一見価値のないものにも新しい命を吹き込む活動
「無価値を価値化」し、生きづらさをかかえる大人と子どもに
勇気を吹き込みます。

・不登校に道をつける
生きていれば、すべてがネタになる!
経験者・当事者だからわかること、気づけることがある。
声をあげる資格があるのではないか。
50歳をすぎて、しみじみと気づいた。不登校はやはりドロップアウトではなかった。

正直なところ、当時はドロップアウトしたと感じました。人生詰んだなと。
けれど、
道を外れたと感じたその先には無限に道があった
道をつくるというよりも、道をつける方が近い・・・

最終的には自分で見つけて自分で決めるんです。
大人は、地ならし、場づくり、環境づくりぐらいしかできません。
そこを歩くかどうかもわかりませんが。
これが「不登校に道をつける会」の由来です。

「不登校」という言葉にこびりつくネガティブなものをそぎ落としたい‥

「復学支援」ではない。
人が育つ、成長する場面にそっとご一緒していたい。
「一緒に」道を「つくる」・道を「つける」ことが人生後半のテーマ
学校の内外で、学びを楽しむ選択肢をつくる
雑木林をつくりそだてるように。

53歳になって、「この世から子どもの自殺をなくす
という使命にたどりつき「250年の大計」と定義しました。
自分の人生では間に合わないほどの志です。

もっともっと思いを巡らせて
「すべての人が、その人の特性に合った「居場所」をみつけられる世の中にする」
これを、わたしの人生の事業の柱としました。

いつも変わるべきは 大人=指導者 からです
親や先生「大人が気づく」ことが人材育成のスタートライン
教育のいとなみそのものが、ここからはじまる。

だから、「教育」は「共育」でなければならない
子育てじゃない「子育ち・親育ち」なんだ。

近藤塾は『人と人ががともに学びあう私塾(居場所) 』です。
ちなみに塾舎はわたしの胸中にあります。

・婚活のアドバイザー・仲人カウンセラー
「結婚相談近藤塾」としての「共育活動」
 
 対話を重ね、あなたの「強み」と「らしさ」を明確化
 人生を面白くする「つながる力」「人の力をかりる力」を一緒に高めましょう。
 あなたの成長によりそい、そっと背中を押します。
 結婚という人生の節目を活用し、成長の場・人間力を高める場にします。
 左利きであるわたしのマイノリティ人生が強みだったと気づき
 生きづらさを感じているマイノリティのサポートができたら嬉しい。


動きまわることが真骨頂なのです。
ミツバチのように飛び回る独立系の社会教育士です。
出会いをもとめて、あっちこっちをとびまわるうちに
たくさんの花粉がみについて、交配がすすんでいく。

かくれた教育者を見つけ、つながり、つなげていく。
いつでも、どこでも、人と出会い、きかせていただく。
相手を尊重して聴く・聴ける人になることを目指し
対話を楽しんでいます。


事業の沿革

「えんカレッジ」は2013年に開業、
人と人との「縁」を大切にし、その輪(円)を広げ、永く継続的にかかわりつづける
という経営理念のもと、相談・教育活動を行ってきました。

しかし、真にクライアントの役に立つサービスを行うには、
自らの成長と業務改善が必須と痛感。
中小零細企業に特化した経営コンサルティングの会社で4年間修行を重ねました。

2021年の年末に、雇われない生き方を決断
翌、年始に萩市の「松下村塾」を訪問、吉田松陰先生の前で決意報告しました。

2022年1月より、教育を軸足に活動を再開。価値を創造する主体者・体現者として、
これまでの経験の「良かった/悪かった」その全てを活かす。
その姿をもって、目の前の相手の成長の「触媒」となり、心を燃やす。

また、中学校のPTA卒業間近で「不登校に道をつける会」会長に就任。
人生後半の使命は、不登校にまとわりつくネガティブな側面をそぎおとすこと。
「不登校」は決して道をふみはずしているのではない。
生き抜いていれば、よかったこともわるかったことも全ては「ネタ」
だから、子どもにはそこにたどりつくまで
何としても生き残っていただかなければならない。

2022年3月、発達障害にくわしい学習指導塾の門を叩きます。
NPO法人で働くこと、特別なニーズのある子どもたちへの指導の経験が。
片道1時間半の道のりを週3日通い1年間修行を重ねました。

2024年3月16日、私の人生の目的がより明確になりました。
それは、「この世から、子どもの自殺をなくす」こと。
子どもが自殺しなきゃならない世の中なんて、100%大人の責任
大人をげんきにしなくちゃ。
社会教育の分野で、自分のいる現場で、
残りの生涯をかけて大人と向き合うと決めました。
そう腹をくくった瞬間から
人に恵まれ、世界が広がっていると実感しています。

「いい人」を卒業しました。もはや嫌われる勇気もいらない。
変わり者と呼ばれることを恐れなくなった。
つまらない大人のせいで思い悩む人を減らすために、道をつくる・道をつける。
味わった経験は全て学び。挫折が人を教育者にする。

そして、「不登校に道をつける」
その「道」にこめたもう一つの思い、それは
私の人生が道そのもの。今この瞬間も変わることを、
楽しみ、自ら道を切り拓いてます。

一緒に楽しむ人をさがしています。

2024年9月、新たな夢がわいてきました。

息子たちがお世話になったこの校区内に、私塾をつくろう。
「一見価値のないものに、価値をふきこむ」ことをやったあげくに
私塾が完成する、廃墟のような古民家と作物を育てる畑そこに
小学生有志と一緒に古民家再生を実行する。
長崎市の「てつなぐ」さんがされた「住み開き」の私塾バージョン

動き回れるうちは、胸中の塾舎をキッチンカーのように運用しています。
今いるこの場所が教室で、これが性に合っています。

さいごに

この固定ページ、つどつど更新中。
お越しいただくたびに、文章が変わっているかも。

「変わり者」であることをおそれず
変わることを楽しむ近藤将人によって
このページはどんどん充実しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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