社会教育の花畑を豊かにする「媒介者」に
ー R6年度 九州大学 社会教育主事講習【一部科目指定講習】を受講してー
わたしの目的は想像した以上に成就しました!
今回の講習、「社会教育士」の資格取得にとどまらず
「人とつながること」を最大の目的に掲げました。
結果、短期間で九州・山口の「知人口」(ちじんこう:知り合う人の数)は激増し、
私の小さな夢である、「教室を飛び出し世界を教室にする社会教育活動」の行き先は
より明確になりました。
「子ども」・「保護者」・「ナナメの関係性である社会教育士のわたし」の三者が、
子どもの自己決定を尊重しながら
旅をしたり、対話したり、一緒に活動するという妄想がふくらみます。
行き先の拠点は学校だったり、施設だったり、自治体だったりですが、
今回のご縁により「あのおとなが、あの社会教育士がいるところ」となったのです。
様々な属性と異年齢の方との接点ができ、
これが社会の縮図ならどんなに面白い人生かと心が躍りました。
講習で終わらせず、ここからが長いおつきあいのはじまり。
大切な人とは何度もであい、語り、一緒に社会教育の醍醐味を味わいます。
当初、行政マンでも施設職員でも、教員でもない私にとって、
課題を共有できる人は少ないのではないか、という懸念がありました。
加えて、一部科目履修生は交流できる人や機会が制限され、
関係性構築は難しいのではないかと不安でした。
しかし、その懸念や不安は杞憂でした。
おひとり、おひとり、熱い想いや着眼点をお持ちで、
「つながること」に積極的な方ばかりでした。
職場や周囲の理解を得られず苦悩した経験をもつ若手教師の方、
挫折を糧に奮闘する先輩にも出会えました。
「自分だけじゃなかった!」
普段の生活では想いを共有できる人は希少で、疎外感を覚えることもありましたが、
講師の事例や受講生の声に励まされました。
特に、講師陣から吐露される言葉は、当事者による肌感覚のある生々しいものでした。
「体験格差」「子育ち支援」「5歳の子どもにわかる」そう、そういう表現に出会いたかった、
という感覚です。
「コンポストのオタク」を自分に置きかえ何のオタクになろうか、と思索する機会も持てました。
大切な人にどのように伝えたらつたわるだろうかと、
もどかしく、もやもやしていたことの言語化にふれ、
武器や道具を授かったようで元気が出てきました。
「評価」で価値を引き出すことや、
「語源」にあたることの大切さを再認識しました。
一方、これまで深く考えていなかったことに目からウロコの発見もありました。
・ 福祉の領域でしばしば「デザイン」が忘れられていること。
・ 「コートの外空間」ハラハラドキドキとヤレヤレ(スポーツだけじゃないあるある)
※参考 「スポーツクラブの社会学 『「コートの外」より愛をこめ』の射程 」
https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787234674/
・ 「日本って民主主義国家なんですか?」の衝撃
(デンマークに何年経っても視察に来る日本人へのつぶやき)
・ ジェンダーギャップ(女性の政治参加は壊滅的)
※参考 https://www.gender.go.jp/international/int_syogaikoku/int_shihyo/index.html
・ イスラム墓地(多文化理解、共創について考えさせられる)
・ 社会教育に「保健師」という切り口(いろんな切り口が見つかりそう)
などなど。
今回の学びを経て、
フリーランスならではのフットワークを強みにしよう と決意を新たにしました。
花畑にはハチのように花粉を運ぶ存在が必要です。
わたしは、「独立系社会教育士」として
学校や自治体や施設などを飛び回り、価値創造に貢献する「媒介者」となります。
まだまだ、このような教育観に共感をもつ人は少数派だろうという自覚はあります。
わたしは「左利き」であるためか、小さい頃から少数派は得意です。
「少数派」であることにひるまず、「変わり者」であることをおそれず、
この講座での出会いを糧とし、対話の力で世界に地域に仲間をつくりまくり、場をつくりまくります。